関西学院大学 鉄道研究会

関西学院大学鉄道研究会のブログです。活動報告や日々のできごとなどを書いていきます!

京都鉄道博物館(10月1日(土))

こんにちは、K.Tです。

長い夏休みも終わり、秋学期が始まりました。この時期は学祭や船場祭などのイベントが開催されます。勿論、私たち鉄道研究会も出展することになりました。無事に成功するよう頑張っていきます!!

 

さて、来る10月1日(土)に鉄研メンバーで今年4月に開館したばかりの“京都鉄道博物館”に行きました。以前から行く機会を伺っていましたが、ようやくその時が来て良かったです。個人的に大阪・弁天町にあった“交通科学博物館”に行った覚えはありますが、そこで展示されていた車輌などが京都に移設されています。

 

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▲博物館エントランスホール前です。ここから中に入ります。

 

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▲こちらは旧二条駅舎で、出口となっています(中はミュージアムショップです)。

 

ここからは博物館で展示されている一部の車輌を掲載します。

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館内では様々な車輌展示を始め、鉄道関係の仕事を体験できたり、歴史や車輌の仕組みを詳しく知ることができたりなど言葉では表現できないくらい驚き満載です。

 

本当はたくさん書きたいところですが、皆様のお楽しみを潰さないようあえて止めときます(笑)

 

博物館の外には蒸気機関車が展示されている扇形車庫が隣接しています。

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▲かつては“梅小路蒸気機関車館”という名称で運営されていました。

 

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▲この日は“JR西日本吹奏楽団”さんによる演奏会が行われていました。

 

ここまで博物館は見るに尽きない所だなあと思っていらっしゃる方もいると思いますが、もっと驚く場所があります。それはこちらです。

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▲本館3階にある“スカイテラス”です。ここからは新幹線から在来線の特急まで数多くの列車が見ることができます。まさに写真撮影には絶好の場所です!!

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瞬く間に色んな列車が通り過ぎていきます。また、東寺京都タワーもあることでよりすばらしい写真を撮ることができます。

 

今回は念願だった“京都鉄道博物館”に行くことができ、本当に良かったです。特に京都は多くの鉄道が発着している所ですので、鉄道ファンにとっては本当にたまりません!!(笑)

一度行ったらまた行きたいと思わせる“京都鉄道博物館”に皆様も行かれてはいかがでしょうか?楽しいですよ~!

 

【お知らせ】

10月8日(土)・9日(日)に大阪・船場にて船場鉄道フェスティバルが行われます。

昨年同様、ジオラマで模型を走らせます。お時間がある方は是非行かれてはいかがでしょうか?お待ちしております。

※詳しくは下記のサイトをご覧下さい。

 https://www.eventscramble.jp/e/semba_railway/2016/#semba6 

  

 

 

神戸観光(9月7日(水))

こんにちは、K.Tです。8月が過ぎ、9月に入りました。

でも暑い日は続くばかりで、台風が発生したり、天気が不安定だったりと落ち着かない天候が続きます。

そんな日に私たち鉄研メンバーは旅行を敢行しました。旅行といっても大学に近い神戸へ行く程度ですが、神戸といえば三宮や元町など賑やかな市街地を思い浮かばれると思います。

そこで今回は市街地から離れた西神・北神方面へ向かいました。実際行ってみたら、同じ神戸市とは思えない所でした。

では早速参りましょう!!

 

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▲▼集合場所はJR・地下鉄新長田駅最寄りの若松公園・鉄人28号モニュメント前です。

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▲▼このモニュメントは1995(平成7)年に起きた阪神淡路大震災の復興シンボルとして造られました。なお、この長田地区は当時被害が最も甚大だった場所でした。

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▲▼まず最初に行く場所は神戸総合運動公園で、地下鉄西神・山手線に乗車します。新長田駅の改札口は床から壁に至るまで煉瓦造りとなっています。

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▲▼到着しました。駅を出た目の前に野球場(ほっともっとフィールド神戸)があります。この球場はプロ野球団のオリックス・バファローズの球場として用いられています。実際、ここに来るまで地下鉄の車内、駅の広告にオリックスの宣伝が用いられているのを至る所まで目にしました。また、この近くにはオリックスの二軍球場も備えられています。なお、メジャーリーガーのイチロー選手もかつてこの球場でプレイしました。

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ここでは球場周辺を散策し、再び駅に戻って湊川公園駅へ向かいました。

 

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▲▼湊川公園駅は神戸電鉄湊川駅へ乗換が可能です。ここから谷上駅へ向かいます。なお、駅の看板が阪急と同一の物が用いられています(写真は新開地方面へ向かう電車です)

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▲▼なお、私たちが乗車した電車は粟生線志染駅へ向かうものだったので、鈴蘭台駅で三田方面へ乗り換える必要があります。

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▲程なくして三田方面行きが入ってきました。これに乗って谷上駅へ向かいます。

 

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▲沿線の風景を見ていると、神戸市とは思えない長閑な場所が広がっていました。本当に神戸市は広いと実感しました。

 

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▲▼谷上駅に到着しました。この駅は神戸電鉄北神急行が乗り入れます。また、先程乗車した地下鉄西神・山手線も乗り入れ来ます。従って、神鉄と地下鉄が同一ホームで乗換えが可能というわけです。

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▲▼駅を出て近辺を散策しました。駅近くには北神急行の車輌基地があります。なお、写真の通り北神急行は六甲山をトンネルで貫いているため、谷上から新神戸・三宮へはわずか10分以内で行けます。

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▲車輌基地の裏側から見ると、北神急行の車輌が停まっていることがわかります。また、遠くを眺めると建物や山々が見えます。

その後、駅周辺を散策し、昼食を摂った後、北神急行に乗車して三宮へ向かいました。そこで今回の旅は終了となりました。

今回の旅では地下鉄・神鉄・北神が神戸市とその周辺地域を結び、JR・阪急・阪神と三宮や新開地でアクセスして、輸送に大きく貢献している事がわかりました。また、広大な神戸市は賑やかな市街地である三宮を初め、長閑で山々が囲んでいる西神・北神方面が存在することです。神戸市は広い事が改めて理解できます。

皆様も行かれてはいかがでしょうか?

 

【豆知識】

神戸市営地下鉄西神・山手線西神中央新神戸間の22.7kmを結ぶ路線。1977(昭和52)年に名谷~新長田間、1983(昭和58)年に新長田~大倉山、1985(昭和60)年に学園都市~新神戸、1987(昭和62)年に西神中央まで開通した。1988(昭和63)年に北神急行相互直通運転が開始された。

神戸電鉄:1926(大正15)年に創立した神戸有馬電気鉄道が母体。1988(昭和63)年に現在の社名になる。有馬線(1928(昭和3)年開通・湊川有馬温泉間22.5km)、三田線(1928(昭和3)年開通・有馬口~三田間12.0km)、粟生線(1952(昭和27)年開通・鈴蘭台~粟生間29.2km)、公園都市線(1996(平成8)年開通・横山~ウッディタウン間5.5km)、神戸高速鉄道南北線(1968(昭和43)年開通・新開地~湊川間0.4km)の全長69.6kmを結ぶ路線。

北神急行:谷上~新神戸間の7.5kmを結ぶ路線。1988(昭和63)年に開通(会社自体は1979(昭和54)年創立)。

 

【参考文献】

国鉄道事情大研究~神戸篇~(1992、草思社、著:川島令三)

関西の電車~鉄道ジャーナル4月号別冊~(2015、鉄道ジャーナル社)

 

 

和歌山旅行(8月20日(土))

こんにちは、K.Tです。毎日暑い日が続きますね~。

世間ではオリンピックや高校野球が盛り上がり、まさにスポーツの季節です。そんな今の季節に私たち鉄研メンバーは秋の学祭の準備を行わなければなりませんが、皆で鉄道旅行に行く機会が巡ってきました。以前は合宿で京都・加悦に行きましたが、今回は和歌山方面です。

私は小学生時代に家族で白浜に行き、約10年ぶりに和歌山に行くことになります。しかも今回は和歌山駅御坊駅に初めて降りました。

 

さて、どんな旅になったのでしょうか?早速本題にまいりましょう。

 

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▲集合場所は和歌山駅です。この駅は阪和線和歌山線紀勢本線、和歌山電鉄が乗り入れます。

 

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▲最初に乗るのは和歌山電鉄・貴志川線です。この路線は元々は1916(大正5)年に開業した和歌山~貴志を結ぶ南海電鉄貴志川線でしたが、2006(平成18)年に譲渡されました。

 

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▲この路線はユニークな車輌が走っており、私たちが乗車したのは“おもちゃ電車”でした。しかもデザインは水戸岡鋭治氏によって行われました(水戸岡さん、凄いですね~!!)。

 

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▲▼車内から風景が見られます。以前行った加悦を思い出します。

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和歌山駅から約30分で終点・貴志駅に着きました。ん?何かを連想させる駅舎だなぁ。皆さん、もうお気づきですね?

 

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▲▼そう!!和歌山電鉄といえば、たま駅長です!!猫が駅長を務めているというこの駅の最大の目玉なのです!!因みにこの日は終始寝ておりました(笑)

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▲地元の方に写真を撮って頂きました。

この駅では様々な猫のデザインが施されていますが、今回はあえて記事に載せないことにしました。理由はこのブログを閲覧されている皆様のお楽しみを低下させるからです。是非一度行かれてはいかがでしょうか?(尚、ここでは地元の方のお話も聞けました)

 

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和歌山駅に戻るところ、乗車したのは何と!南海色の車輌ではありませんか!これは偶然でした(笑)この路線は本当に多彩な車輌が多いところが目玉です。

 

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▲さて、和歌山駅で降りて街に出ました。和歌山といえば、一度和歌山ラーメンを堪能したいところです。

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▲私が頼んだのは大盛りです。ご覧のようにかなりボリュームがあります。値段は800円でした。

 

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▲▼一向は再び和歌山駅に戻り、普通電車で御坊駅に向かいました。

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▲そこから紀州鉄道に乗り換えました。この路線はJR御坊~西御坊のわずか2.7㎞を結ぶ単線非電化路線です。1928(昭和3)年に地元住民が“御坊臨港鉄道”として御坊~日高川(現、廃止)間を結ぶために開通しましたが、1972(昭和47)年に東京に本拠を持つリゾート開発会社鶴屋商事グループに買収されたことで“紀州鉄道”と改称され、現在に至っています。

 

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▲▼現在の終点・西御坊駅ですが、住宅街の中に在る簡素な駅となっています。

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西御坊駅から先は廃線跡となっており、かつて終点だった日高川駅まで続いています。一同はその日高川駅跡まで歩きました。当時の線路を初め、踏切や信号機などの一部が残されています。

 

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▲▼日高川駅跡です。草が生い茂っている中にかつてのプラットホームの跡が残されています。この駅は1989(平成元)年に乗客数が少なかった事から廃止になりました。

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この路線自体は列車の本数や利用客は少ないですが、今でも地域住民の生活の足として活躍しています。

 

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▲その後は紀伊御坊駅まで歩きました。この駅では紀州鉄道のグッズが買えます。

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一同はここから御坊駅まで乗り、JRに乗り換えて帰路に就きました。今回の旅では和歌山県のローカル鉄道に乗りましたが、それらの歴史を遡ると様々な経緯を経て現在に至っている事がわかりました。他会社への譲渡・買収でいかに運営を維持していくか、色んな手法を使っていることを感じました。和歌山は海や山といった観光地が多くありますが、今回乗った鉄道に乗るのもいかがでしょうか?是非お勧めします!!

 

【オマケ】

阪和線紀勢本線には多彩な電車が走っています。今回は主なものを載せます。

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【参考文献】

国鉄道事情大研究~大阪南部・和歌山篇~(著:川島令三草思社)

笑う鉄道~責任編集長 中川家礼二~(ヨシモトブックス)

 

 

 

加悦合宿 三日目(8月8日(月))

三日目の模様は再びK.Tがお伝えします。

前日と同じ6時半頃に起床し、7時過ぎ頃に朝食を頂きました。

 

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▲主に魚のホイル焼き、ヒジキ、厚揚げ、味噌汁、湯豆腐などでした。

 

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▲▼お腹を満たして、今日も頑張っていくぞ~!!

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▲その後、身支度を済ませ、宿泊代を払い、宿の前で記念撮影をしました(撮影者は女将さんです)。女将さんに最後の挨拶も済ませ、出発しました。井筒屋さん、三日間本当にお世話になりました。

 

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▲まずは町役場へ向かい、観光協会さんからサイクリング用の自転車をお借りしました。今日はかつて走っていた加悦鉄道の廃線跡をサイクリングします(因みに去年と同じです)。

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▲町役場内にあるマップです。私たちはここからSL広場まで向かい、そこからサイクリングロードに入ります。ゴール地点は与謝野駅前です(このマップでは旧名・野田川駅と記されています)。このマップを見ると改めて加悦の町が広範囲に広がっているのがわかりますね~。

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▲自転車に乗って、いざ出発です!!(なお、保存会さんの方々が同行して頂きました)。ちりめん街道に沿って、SL広場まで行きます。

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▲▼ちりめん街道を抜け、SL広場付近に差し掛かった時にのどかな田園地帯が広がっていました。やはり、加悦は良い所ですね~。

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▲▼SL広場で休息です。三日間過ごしたSL広場ともお別れです。保存会・食事を提供して頂いたお店の皆様、本当にありがとうございました!!

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▲それでは本日メインの加悦鉄道廃線跡・サイクリングロードに入ります。加悦鉄道は大正時代末期に開通した路線で、現在の京都丹後鉄道・与謝野駅から南に伸びていました(廃線は1985(昭和60)年)。当初はこの地で生産される織物のちりめんを輸送を担っていましたが、太平洋戦争中はSL広場付近に存在した大江山鉱山からニッケルの輸送も担いました。写真はSL広場付近にある当時の様子を語る看板です。ご覧の通り、当時は鉄道の線路が配置されていた事がわかります。

※詳しくは最後のオマケを参照して下さい。

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▲SL広場からは当時の鉱山跡の煙突が見えます。

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▲それでは廃線跡サイクリングの始まりです。

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▲SL広場が在る方角です。また来る日までさよなら~。

 

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▲当時の踏切跡も残っているのがわかります。

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▲加悦駅跡です。旅客自体はここから与謝野駅までですが、先程の大江山鉱山跡駅までは後年敷かれた貨物線が延びていました。

 

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▲▼因みに当時の加悦駅には機関車の方向を変えるためのターンテーブル(転車台)がありましたが、現在の与謝野町加悦庁舎には何と!!当時の跡地があります(よく遺してもらいましたね~)

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▲これがその与謝野町加悦庁舎です。

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▲更に庁舎の前には前日訪問した加悦鉄道資料館が在ります。尚、この駅舎は当時とは180度向きが異なっていました。

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▲▼再び自転車を走らせます。地面には線路が描かれていて、本当に線路を走っているようです。

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▲加悦駅跡から与謝野駅(旧名、丹後山田駅)まで長い道のりでしたが、その間広い田園地帯、周りを山が囲んでいました。また、ある建物からはちりめんを織っている音も聞こえ、「今でもわずかに丹後ちりめんを織っている家が残っている」と感じました。なお、写真でもわかりますが田園に珍しい(?)白鳥がいました。どんな種類かはわかりませんが、この地域では普通に生息しているんでしょうかね。このように自転車を走らせながら都会の人間にとって珍しいものなどに遭遇するという、これまた滅多に無い経験をしました。

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▲▼その後与謝野駅を通り越して、岩滝口駅との間に在る踏切に行きました。加悦鉄道の線路はここまで延びていたようです。

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▲これで今回の加悦鉄道廃線跡サイクリングは終わりを告げました。

 その後は与謝野駅まで行き、自転車を返却しました。

 

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▲最後に合宿に参加した鉄研会員全員で写真を撮って頂きました。

 本日まで同行して頂いた保存会の方々とお礼の挨拶を済ませ、お別れしました。よって、私たちもこの与謝野駅において一応の解散をし、それぞれ家路に就きました。

 

今回の合宿は去年と同じく加悦の地でしたが、個人的に去年とは少し違うと感じました。去年は加悦鉄道の事はあまり知らず、北近畿地域の事すら興味があまりありませんでした。しかし、今回は事前に調べてきた上で「加悦鉄道及び、国鉄に興味が沸いてきた」と感じてきました。よって、この合宿に参加した事に決して無駄にせず、今後の鉄研の活動において参考にしていきたいと思います。勿論、またこの加悦に行ってみたいとも思いました(特に鉄研の活動以外で)。皆様も是非加悦に行ってみてはいかがでしょうか?良い所ですよ~~!!

※なお補足しておきますと、自分は大阪から行き・帰りともおよそ6時間もかかりました。なぜなら、鈍行を使用した上に京都丹後鉄道は一時間に列車が1,2本(普通、特急)程度で単線だからです。自分は今回の合宿では途中の天橋立宮津で30分~1時間も待つ羽目になりました。どうしても早く行きたい方は特急列車、またはバス等をご利用して頂くことをお勧めします(まあ、鉄道好きの方は鉄道を使われると思いますが(笑))

 

最後になりますが、三日間お世話になりました加悦鉄道保存会・宮津海陸運輸(株)・井筒屋さん・旧尾藤家の管理人の皆様、本当にありがとうございました!!

 

 

【オマケ】

※以下は今回の合宿前に事前調査においてまとめた資料の中で加悦鉄道に関することを抜粋した内容です(一部改筆している箇所があります)。

 

日本の町並み調査報告書集成23 近畿地方の町並み4(村上訒一、東洋書林)

 加悦町は古代以来、丹後各地と与謝峠を介して近畿中央部を結ぶ結節点として機能を発揮し、中世からは絹織物の産地として、近世からは物流の基地として栄えてきた。特に、丹後ちりめんが導入された江戸中期以降は日本を代表するちりめんの産地となり、単にちりめんのみならず、それを支えるその他の産業も発展してきた。そして、1965(昭和40)年代後半にはちりめん産業はピークを迎えるが、それ以降繊維産業は衰退の道を歩み始めた。

 ちりめん街道は交通手段の変化と共にその役割を変えていった。1926(大正15)年12月に加悦~国鉄宮津線丹後山田駅を結ぶ私鉄・加悦鉄道が開通し、人々と物の流れがちりめん街道から加悦鉄道に移っていった。さらに1930(昭和5)年に街道東側へ丹後と丹波を結ぶ府道福知山宮津線が新設され、ちりめん街道はさらに交通から遠ざかることになった。このように鉄道と府道の完成により、ちりめん街道は交通と物流の基地としての地位を奪われ、次第に静かな住宅地と化し、街道筋を旅人が通過することは全くなくなってしまったのである。これは町にとって決定的なことであり、その性格を根本的に変える要因となっていくのである。

前方後円墳とちりめん街道~地域史から日本史へ~(広瀬和雄、昭和堂)

 1924(大正13)年に宮津線の建設が始まると、加悦谷・出石を経由して豊岡につなげようとする運動が惹起されたが、失敗に終わり、宮津線の丹後山田~加悦間のわずか五キロメートル強を結ぶ加悦鉄道の建設が企図された。この建設は加悦の歴史にとって特筆すべき事であった。理由は本来の鉄道のような多額の固定資本を要する事業を誰かに頼るのでもなく、基本的に住民自身の力で実現したからである。つまり、加悦住民の自治能力の高さを内外に立証する事業といえる。なお、加悦鉄道は資本金30万円の株式会社として1925(大正14)年4月に発足し、同年12月に開通した。また、加悦鉄道の建設は、近世初頭以来の加悦の町並みに、初めて本格的な近代的都市計画のメスが入るきっかけでもあった。加悦駅を建設するために駅前道路の拡幅が図られたが、それは加悦における最初の近代的都市計画事業であった。因みに、都市計画事業というのは都市全体を覆うマスタープランに基づき、街区整備や土地利用制限によって都市の景観を計画的に作り出していく事業であったが、昭和期に入ると、いわゆる都市部だけでなく農村部においても着手する自治体が増え始めていた。加悦における都市計画事業はまさにその働きを先取りする事業であった。

 

 

 

旅客人数

貨物

手小荷物

1926(大正15)年

25333人

252トン

6137キログラム

1927(昭和元)年

254241人

14908トン

138555キログラム

1928(昭和2)年

297940人

14908トン

201385キログラム

 

 だが、大正から昭和にかけて加悦の自治は一つの限界に直面した。一つの理由は自治事業として行わなくてはならない事業の規模が次第に大きくなり、一つや二つの町村で担えるようなものではなくなってしまったからである(例:尋常小学校や高等小学校に代わる中等教育施設、道路、鉄道の建設)。それは加悦鉄道も同じで、1930年代には事業の発展に対して会社の幹部による京都府や政府への陳情が不可欠になってしまった。もはや加悦の住民に必要な公共事業を加悦町などの自治の力だけで担う時代の終止符でもあった。特に1927(昭和元)年3月の丹後大震災の復興の困難が町村自治の限界を白日の下にさらしたのである。加悦町は町の中央を貫く自動車道の建設などの復興計画を立案したが、それは加悦町一町の力だけによって京都府や政府の援助無しに遂行できるような計画ではなかった。つまり、町村自治の限界を露呈させる事になったのである。その後もあらゆる努力を尽くしたものの、自治解体の流れの食い止めには繋がらなかった。その結果、住民自治の象徴であった加悦鉄道は大江山で採れるニッケル鉱の運搬手段への変貌を余儀なくされ、1939(昭和14)年に大江山ニッケル鉱業株式会社に経営権を譲渡し、ちりめんと住民の足から戦時経済を支えるニッケル鉱業運搬手段へとその姿を変えた。

国鉄道事情大研究~京都・滋賀篇~(川島令三草思社)

 加悦鉄道は1985(昭和60)年に廃止された。尚、この路線の親会社である日本冶金工業専用線も加悦・与謝野から延びていた。

 

加悦合宿 2日目(8月7日(日))

こんにちは、コガッチです。

 

さて、合宿は2日目になりました!

2日目はどんなことをしたのでしょうか。その様子をお伝えしたいと思います。

 

朝6時半に一同は起床し、朝ご飯を食べました。

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この日も炎天下での作業なので、朝ご飯はしっかり食べましょう。朝ご飯を済ませた後、一同はSL広場に向かい、車両の塗装作業をやらせてもらいました。

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↓かなり暑かったですから、休憩もこまめに取りながらの作業でした。

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水分、塩分補給はめっちゃ大事ですよ~

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さあ、車両の塗装作業もいよいよ最終段階です。

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とうとう完成することができました‼

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さあ、昼食の時間です。メニューは見ていただければわかりますが、冷やしうどんと焼きおにぎりでした。もちろんおいしく頂きました。

午後からは、ペンキ塗りの作業で使用した道具の後片付けをしました。

その後、我々一同はロケット号に乗らせてもらいました。

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皆さん、いい笑顔してますね^_^

私もこの後に乗らせてもらいましたが、乗ってて楽しかったですよ~

午後3時まで、SL広場内で自由時間でした。

さあ、一同はこの後に、急遽予定してなかった旧尾藤家住宅を訪れました。

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ここでは、加悦の町での名産品である生糸ちりめん、加悦町の歴史や昔、加悦鉄道がどのように発達していったのかなど、いろんなことを学びました。私もかなり勉強になりました。

旧尾藤家住宅を出発した我々は徒歩で下の写真の加悦鉄道資料館を訪れました。

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今となっては貴重な資料、道具などを見ることができました。

その後、一同は井筒屋さんに戻りました。

夜ご飯は井筒屋さんの中で、頂きました。

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メニューは、名産の丹後ばらずしやお刺身などの様々なおさかな料理でした。

「本当に美味しかった~」

また、食事中には、女将さんの生い立ちなどのお話を聞かせてもらいました。結構盛り上がりました。

夕食後、一同は部屋に戻り、部員全員でババ抜きや大富豪をして楽しみました。こうみんなで楽しめたのも、忘れられない良い思い出になりました‼

 

こういう風に合宿後にブログを書いてみると、この1日楽しい時間を過ごしたんだなぁということがよみがえってきます。

 

この日も、保存会さんには、お世話になりました。また、井筒屋さんにもお世話になりました。本当にありがとうございます。

 

<続きは3日目で>

 

 

 

加悦合宿 一日目②(8月6日(土))

それでは②にいきまーす。

昼食の後、保存会の中井さんに連れられ、SL広場に向かいました。

 

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▲▼このSL広場はご覧の通り、懐かしのターンテーブルが配置されていて、その周りには数々の機関車や客車、気動車などが保存されております。

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▲▼それでは早速作業開始です。今回は古い客車の塗装作業です。去年は保存車輌の洗車でしたが、今年は塗装というかなり緊張感が漂う行程です。最初にヘラなどで古い塗装を剥がし、ある程度剥がせたら、上からペンキで塗っていきます。

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▲▼保存会さんから説明をしっかり聞き、作業を進めていきます。なお、安全のため顔はゴーグルとマスクを、手は軍手で保護しました。また、屋根付近も塗装するため脚立を使用しますが、下部をしっかり支えます。かなり注意を払う必要がありました。

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▲▼しかもこの日は暑く、合間に休憩を入れる必要があります。そのため、機関庫で全員休息しました。なお、広場を管理している宮津海陸運輸(株)さんからは冷たいお茶が提供されました。本当にありがたいです!!(また、保存会の人たちと色々談笑したりしました)

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▲その後は作業を再開し、

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▲再び休憩を入れ、

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▲作業を続けました。とても暑かったな~(笑)

 

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▲▼14時に始まった作業は17時頃に終了しました。気付けば空は日が暮れ始め、照明が灯りました。塗装作業は明日も行われます。

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▲さてさて!!作業の後はお楽しみの納涼会です!!私たちも準備を手伝いました。

 

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▲時間が経つにつれ、夕日が沈み、空が暗くなり始めました。同時に暑さもマシになっていきました。

 

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▲▼納涼会開始です。食事を摂りながら、保存会さんたちと談笑に弾みました(主に自己紹介や鉄道関連の話など)。

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納涼会も無事に終わり、後片付けも最後まで全員でやり遂げました。それにしても本当に暑かったです。でも作業は明日も続きます(しかも一日中)。熱中症に気を付けながら、塗装を行います。

この後、私たちは保存会さんの車でお世話になる井筒屋さんに向かいました。本当に保存会さんには何から何までお世話なりました。本当にありがとうございます!!

 

さあ、明日の作業は果たしてどうなるのでしょうか?二日目の記事もお楽しみに~。

 

【オマケ】

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▲▼与謝野駅からSL広場に向かう途中、「ウイル」という名前に注目しました。その正体は何と!!ショッピングプラザでした(笑)(しかも敷地内まで乗り入れました)

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加悦合宿 一日目①(8月6日(土))

こんにちは、K.Tです。ブログを書くのは約2ヶ月ぶりです。暫く会合がなく、この間は講義やテストなど単位取得に翻弄していました。しかし、この度の合宿の準備は怠りなく順調に進めていきました。そして、ついにその日が来ました。果たして三日間どのように過ごしていったかをこのブログで皆様にお伝えします。

なお、一日目は少々長めに書いたので①と②に分けます。

 

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▲▼一日目の集合場所はJR福知山駅です。この駅はJR西日本と京都丹後鉄道の共有駅です。この駅では京都・大阪方面から来る特急電車を初め、天橋立・豊岡・城崎温泉など多方面へ発着する列車に接続します。

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▲▼午前10時に参加者全員が集合し、目的地の加悦SL広場に向かいます。なお、この駅の改札口は両社とも有人となっています。なんだか、一昔前の国鉄時代を感じますね。

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▲京都丹後鉄道の路線図です。私たちは加悦SL広場最寄りの与謝野駅まで乗ります。

 

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▲ここからは快速丹後あおまつ号に乗車し、天橋立駅まで行きます。この列車は工業デザイナー水戸岡鋭治氏によって手掛けられ、車内にソファー席やカウンター席、テーブル席などが完備されており、快適に過ごせるようになっているのが特徴です。しかも普通乗車賃のみで乗れるのも注目です。

 

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▲途中の宮津駅で進行方向を変えます。この駅は京都丹後鉄道の三路線(宮福線宮舞線宮豊線)と接続します。

 

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福知山駅から約50分で終着天橋立駅に着きました。この後、私たちは丹後あかまつ号に乗り換えます。

 

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▲▼待つこと30分、西舞鶴方面から丹後あかまつ号が到着しました。この列車も先程のあおまつ号と同じく水戸岡氏によって手掛けられていますが、あおまつ号よりも車内が広々としています。二両編成ですが、豊岡方(白)は普通車輌で普通乗車賃のみで乗れますが、西舞鶴方(赤)は乗車整理券が必要となります。

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▲出発しました。駅の手前では宮津湾に、出発後には阿蘇海が一望できました。青空も広がっていて本当に綺麗ですね~。

 

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▲▼到着しました。この駅は単線区間で列車が交互に入れ替わる駅です。到着したと同時に新型特急・丹後の海号に遭遇しました。この列車も乗ってみたいですね~。

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▲この駅は国鉄時代は丹後山田駅という名前でしたが、北近畿丹後鉄道(現、京都丹後鉄道)に移管された後に野田川駅、更には現在の与謝野駅と改称されました。

 

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▲ここからはバスに乗ります。

 

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▲▼そして、SL広場に到着しました。長かったな~(自分は大阪から約6時間近くもかかりました(笑))。

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▲今回お世話になる加悦SL広場。1996(平成8)年にオープンした鉄道車輌展示施設で、蒸気機関車から気動車まで様々な車輌が展示されています。皆様も是非行かれてみてはいかがでしょうか?詳しくはHPのリンクから加悦鐵道保存会さんにアクセスして下さい。

後日ブログに書く予定ですが、この地には加悦鉄道という路線が敷かれていました。

 

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▲▼さて!!ここまで長時間かかって来たので、かなり空腹です!!まずは腹ごしらえです!!

この蒸気屋さんはご覧の通り、元々の電車の車輌を改造し、食堂にしてオープンしています。まさに!!昔の食堂車みたいですね!!

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▲私が頼んだのはイタリアンカツカリーという何ともユニークなカレーです。味は本当に格別で、暑い夏に持ってこいの料理です。皆様も是非食べてみてはいかがでしょうか~?

 

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▲お腹も満たされ、着替えて作業開始です。どんな作業が待っているのでしょうか~?

 

続きは②でご覧下さい!!