加悦合宿 三日目(8月8日(月))
三日目の模様は再びK.Tがお伝えします。
前日と同じ6時半頃に起床し、7時過ぎ頃に朝食を頂きました。
▲主に魚のホイル焼き、ヒジキ、厚揚げ、味噌汁、湯豆腐などでした。
▲▼お腹を満たして、今日も頑張っていくぞ~!!
▲その後、身支度を済ませ、宿泊代を払い、宿の前で記念撮影をしました(撮影者は女将さんです)。女将さんに最後の挨拶も済ませ、出発しました。井筒屋さん、三日間本当にお世話になりました。
▲まずは町役場へ向かい、観光協会さんからサイクリング用の自転車をお借りしました。今日はかつて走っていた加悦鉄道の廃線跡をサイクリングします(因みに去年と同じです)。
▲町役場内にあるマップです。私たちはここからSL広場まで向かい、そこからサイクリングロードに入ります。ゴール地点は与謝野駅前です(このマップでは旧名・野田川駅と記されています)。このマップを見ると改めて加悦の町が広範囲に広がっているのがわかりますね~。
▲自転車に乗って、いざ出発です!!(なお、保存会さんの方々が同行して頂きました)。ちりめん街道に沿って、SL広場まで行きます。
▲▼ちりめん街道を抜け、SL広場付近に差し掛かった時にのどかな田園地帯が広がっていました。やはり、加悦は良い所ですね~。
▲▼SL広場で休息です。三日間過ごしたSL広場ともお別れです。保存会・食事を提供して頂いたお店の皆様、本当にありがとうございました!!
▲それでは本日メインの加悦鉄道廃線跡・サイクリングロードに入ります。加悦鉄道は大正時代末期に開通した路線で、現在の京都丹後鉄道・与謝野駅から南に伸びていました(廃線は1985(昭和60)年)。当初はこの地で生産される織物のちりめんを輸送を担っていましたが、太平洋戦争中はSL広場付近に存在した大江山鉱山からニッケルの輸送も担いました。写真はSL広場付近にある当時の様子を語る看板です。ご覧の通り、当時は鉄道の線路が配置されていた事がわかります。
※詳しくは最後のオマケを参照して下さい。
▲SL広場からは当時の鉱山跡の煙突が見えます。
▲それでは廃線跡サイクリングの始まりです。
▲SL広場が在る方角です。また来る日までさよなら~。
▲当時の踏切跡も残っているのがわかります。
▲加悦駅跡です。旅客自体はここから与謝野駅までですが、先程の大江山鉱山跡駅までは後年敷かれた貨物線が延びていました。
▲▼因みに当時の加悦駅には機関車の方向を変えるためのターンテーブル(転車台)がありましたが、現在の与謝野町加悦庁舎には何と!!当時の跡地があります(よく遺してもらいましたね~)
▲これがその与謝野町加悦庁舎です。
▲更に庁舎の前には前日訪問した加悦鉄道資料館が在ります。尚、この駅舎は当時とは180度向きが異なっていました。
▲▼再び自転車を走らせます。地面には線路が描かれていて、本当に線路を走っているようです。
▲加悦駅跡から与謝野駅(旧名、丹後山田駅)まで長い道のりでしたが、その間広い田園地帯、周りを山が囲んでいました。また、ある建物からはちりめんを織っている音も聞こえ、「今でもわずかに丹後ちりめんを織っている家が残っている」と感じました。なお、写真でもわかりますが田園に珍しい(?)白鳥がいました。どんな種類かはわかりませんが、この地域では普通に生息しているんでしょうかね。このように自転車を走らせながら都会の人間にとって珍しいものなどに遭遇するという、これまた滅多に無い経験をしました。
▲▼その後与謝野駅を通り越して、岩滝口駅との間に在る踏切に行きました。加悦鉄道の線路はここまで延びていたようです。
▲これで今回の加悦鉄道廃線跡サイクリングは終わりを告げました。
その後は与謝野駅まで行き、自転車を返却しました。
▲最後に合宿に参加した鉄研会員全員で写真を撮って頂きました。
本日まで同行して頂いた保存会の方々とお礼の挨拶を済ませ、お別れしました。よって、私たちもこの与謝野駅において一応の解散をし、それぞれ家路に就きました。
今回の合宿は去年と同じく加悦の地でしたが、個人的に去年とは少し違うと感じました。去年は加悦鉄道の事はあまり知らず、北近畿地域の事すら興味があまりありませんでした。しかし、今回は事前に調べてきた上で「加悦鉄道及び、国鉄に興味が沸いてきた」と感じてきました。よって、この合宿に参加した事に決して無駄にせず、今後の鉄研の活動において参考にしていきたいと思います。勿論、またこの加悦に行ってみたいとも思いました(特に鉄研の活動以外で)。皆様も是非加悦に行ってみてはいかがでしょうか?良い所ですよ~~!!
※なお補足しておきますと、自分は大阪から行き・帰りともおよそ6時間もかかりました。なぜなら、鈍行を使用した上に京都丹後鉄道は一時間に列車が1,2本(普通、特急)程度で単線だからです。自分は今回の合宿では途中の天橋立や宮津で30分~1時間も待つ羽目になりました。どうしても早く行きたい方は特急列車、またはバス等をご利用して頂くことをお勧めします(まあ、鉄道好きの方は鉄道を使われると思いますが(笑))
最後になりますが、三日間お世話になりました加悦鉄道保存会・宮津海陸運輸(株)・井筒屋さん・旧尾藤家の管理人の皆様、本当にありがとうございました!!
【オマケ】
※以下は今回の合宿前に事前調査においてまとめた資料の中で加悦鉄道に関することを抜粋した内容です(一部改筆している箇所があります)。
日本の町並み調査報告書集成23 近畿地方の町並み4(村上訒一、東洋書林)
加悦町は古代以来、丹後各地と与謝峠を介して近畿中央部を結ぶ結節点として機能を発揮し、中世からは絹織物の産地として、近世からは物流の基地として栄えてきた。特に、丹後ちりめんが導入された江戸中期以降は日本を代表するちりめんの産地となり、単にちりめんのみならず、それを支えるその他の産業も発展してきた。そして、1965(昭和40)年代後半にはちりめん産業はピークを迎えるが、それ以降繊維産業は衰退の道を歩み始めた。
ちりめん街道は交通手段の変化と共にその役割を変えていった。1926(大正15)年12月に加悦~国鉄宮津線丹後山田駅を結ぶ私鉄・加悦鉄道が開通し、人々と物の流れがちりめん街道から加悦鉄道に移っていった。さらに1930(昭和5)年に街道東側へ丹後と丹波を結ぶ府道福知山宮津線が新設され、ちりめん街道はさらに交通から遠ざかることになった。このように鉄道と府道の完成により、ちりめん街道は交通と物流の基地としての地位を奪われ、次第に静かな住宅地と化し、街道筋を旅人が通過することは全くなくなってしまったのである。これは町にとって決定的なことであり、その性格を根本的に変える要因となっていくのである。
前方後円墳とちりめん街道~地域史から日本史へ~(広瀬和雄、昭和堂)
1924(大正13)年に宮津線の建設が始まると、加悦谷・出石を経由して豊岡につなげようとする運動が惹起されたが、失敗に終わり、宮津線の丹後山田~加悦間のわずか五キロメートル強を結ぶ加悦鉄道の建設が企図された。この建設は加悦の歴史にとって特筆すべき事であった。理由は本来の鉄道のような多額の固定資本を要する事業を誰かに頼るのでもなく、基本的に住民自身の力で実現したからである。つまり、加悦住民の自治能力の高さを内外に立証する事業といえる。なお、加悦鉄道は資本金30万円の株式会社として1925(大正14)年4月に発足し、同年12月に開通した。また、加悦鉄道の建設は、近世初頭以来の加悦の町並みに、初めて本格的な近代的都市計画のメスが入るきっかけでもあった。加悦駅を建設するために駅前道路の拡幅が図られたが、それは加悦における最初の近代的都市計画事業であった。因みに、都市計画事業というのは都市全体を覆うマスタープランに基づき、街区整備や土地利用制限によって都市の景観を計画的に作り出していく事業であったが、昭和期に入ると、いわゆる都市部だけでなく農村部においても着手する自治体が増え始めていた。加悦における都市計画事業はまさにその働きを先取りする事業であった。
|
旅客人数 |
貨物 |
手小荷物 |
1926(大正15)年 |
25333人 |
252トン |
6137キログラム |
1927(昭和元)年 |
254241人 |
14908トン |
138555キログラム |
1928(昭和2)年 |
297940人 |
14908トン |
201385キログラム |
だが、大正から昭和にかけて加悦の自治は一つの限界に直面した。一つの理由は自治事業として行わなくてはならない事業の規模が次第に大きくなり、一つや二つの町村で担えるようなものではなくなってしまったからである(例:尋常小学校や高等小学校に代わる中等教育施設、道路、鉄道の建設)。それは加悦鉄道も同じで、1930年代には事業の発展に対して会社の幹部による京都府や政府への陳情が不可欠になってしまった。もはや加悦の住民に必要な公共事業を加悦町などの自治の力だけで担う時代の終止符でもあった。特に1927(昭和元)年3月の丹後大震災の復興の困難が町村自治の限界を白日の下にさらしたのである。加悦町は町の中央を貫く自動車道の建設などの復興計画を立案したが、それは加悦町一町の力だけによって京都府や政府の援助無しに遂行できるような計画ではなかった。つまり、町村自治の限界を露呈させる事になったのである。その後もあらゆる努力を尽くしたものの、自治解体の流れの食い止めには繋がらなかった。その結果、住民自治の象徴であった加悦鉄道は大江山で採れるニッケル鉱の運搬手段への変貌を余儀なくされ、1939(昭和14)年に大江山ニッケル鉱業株式会社に経営権を譲渡し、ちりめんと住民の足から戦時経済を支えるニッケル鉱業運搬手段へとその姿を変えた。
加悦鉄道は1985(昭和60)年に廃止された。尚、この路線の親会社である日本冶金工業の専用線も加悦・与謝野から延びていた。
加悦合宿 2日目(8月7日(日))
こんにちは、コガッチです。
さて、合宿は2日目になりました!
2日目はどんなことをしたのでしょうか。その様子をお伝えしたいと思います。
朝6時半に一同は起床し、朝ご飯を食べました。
この日も炎天下での作業なので、朝ご飯はしっかり食べましょう。朝ご飯を済ませた後、一同はSL広場に向かい、車両の塗装作業をやらせてもらいました。
↓かなり暑かったですから、休憩もこまめに取りながらの作業でした。
水分、塩分補給はめっちゃ大事ですよ~
さあ、車両の塗装作業もいよいよ最終段階です。
とうとう完成することができました‼
さあ、昼食の時間です。メニューは見ていただければわかりますが、冷やしうどんと焼きおにぎりでした。もちろんおいしく頂きました。
午後からは、ペンキ塗りの作業で使用した道具の後片付けをしました。
その後、我々一同はロケット号に乗らせてもらいました。
皆さん、いい笑顔してますね^_^
私もこの後に乗らせてもらいましたが、乗ってて楽しかったですよ~
午後3時まで、SL広場内で自由時間でした。
さあ、一同はこの後に、急遽予定してなかった旧尾藤家住宅を訪れました。
ここでは、加悦の町での名産品である生糸ちりめん、加悦町の歴史や昔、加悦鉄道がどのように発達していったのかなど、いろんなことを学びました。私もかなり勉強になりました。
旧尾藤家住宅を出発した我々は徒歩で下の写真の加悦鉄道資料館を訪れました。
今となっては貴重な資料、道具などを見ることができました。
その後、一同は井筒屋さんに戻りました。
夜ご飯は井筒屋さんの中で、頂きました。
メニューは、名産の丹後ばらずしやお刺身などの様々なおさかな料理でした。
「本当に美味しかった~」
また、食事中には、女将さんの生い立ちなどのお話を聞かせてもらいました。結構盛り上がりました。
夕食後、一同は部屋に戻り、部員全員でババ抜きや大富豪をして楽しみました。こうみんなで楽しめたのも、忘れられない良い思い出になりました‼
こういう風に合宿後にブログを書いてみると、この1日楽しい時間を過ごしたんだなぁということがよみがえってきます。
この日も、保存会さんには、お世話になりました。また、井筒屋さんにもお世話になりました。本当にありがとうございます。
<続きは3日目で>
加悦合宿 一日目②(8月6日(土))
それでは②にいきまーす。
昼食の後、保存会の中井さんに連れられ、SL広場に向かいました。
▲▼このSL広場はご覧の通り、懐かしのターンテーブルが配置されていて、その周りには数々の機関車や客車、気動車などが保存されております。
▲▼それでは早速作業開始です。今回は古い客車の塗装作業です。去年は保存車輌の洗車でしたが、今年は塗装というかなり緊張感が漂う行程です。最初にヘラなどで古い塗装を剥がし、ある程度剥がせたら、上からペンキで塗っていきます。
▲▼保存会さんから説明をしっかり聞き、作業を進めていきます。なお、安全のため顔はゴーグルとマスクを、手は軍手で保護しました。また、屋根付近も塗装するため脚立を使用しますが、下部をしっかり支えます。かなり注意を払う必要がありました。
▲▼しかもこの日は暑く、合間に休憩を入れる必要があります。そのため、機関庫で全員休息しました。なお、広場を管理している宮津海陸運輸(株)さんからは冷たいお茶が提供されました。本当にありがたいです!!(また、保存会の人たちと色々談笑したりしました)
▲その後は作業を再開し、
▲再び休憩を入れ、
▲作業を続けました。とても暑かったな~(笑)
▲▼14時に始まった作業は17時頃に終了しました。気付けば空は日が暮れ始め、照明が灯りました。塗装作業は明日も行われます。
▲さてさて!!作業の後はお楽しみの納涼会です!!私たちも準備を手伝いました。
▲時間が経つにつれ、夕日が沈み、空が暗くなり始めました。同時に暑さもマシになっていきました。
▲▼納涼会開始です。食事を摂りながら、保存会さんたちと談笑に弾みました(主に自己紹介や鉄道関連の話など)。
▲納涼会も無事に終わり、後片付けも最後まで全員でやり遂げました。それにしても本当に暑かったです。でも作業は明日も続きます(しかも一日中)。熱中症に気を付けながら、塗装を行います。
この後、私たちは保存会さんの車でお世話になる井筒屋さんに向かいました。本当に保存会さんには何から何までお世話なりました。本当にありがとうございます!!
さあ、明日の作業は果たしてどうなるのでしょうか?二日目の記事もお楽しみに~。
【オマケ】
▲▼与謝野駅からSL広場に向かう途中、「ウイル」という名前に注目しました。その正体は何と!!ショッピングプラザでした(笑)(しかも敷地内まで乗り入れました)
加悦合宿 一日目①(8月6日(土))
こんにちは、K.Tです。ブログを書くのは約2ヶ月ぶりです。暫く会合がなく、この間は講義やテストなど単位取得に翻弄していました。しかし、この度の合宿の準備は怠りなく順調に進めていきました。そして、ついにその日が来ました。果たして三日間どのように過ごしていったかをこのブログで皆様にお伝えします。
なお、一日目は少々長めに書いたので①と②に分けます。
▲▼一日目の集合場所はJR福知山駅です。この駅はJR西日本と京都丹後鉄道の共有駅です。この駅では京都・大阪方面から来る特急電車を初め、天橋立・豊岡・城崎温泉など多方面へ発着する列車に接続します。
▲▼午前10時に参加者全員が集合し、目的地の加悦SL広場に向かいます。なお、この駅の改札口は両社とも有人となっています。なんだか、一昔前の国鉄時代を感じますね。
▲京都丹後鉄道の路線図です。私たちは加悦SL広場最寄りの与謝野駅まで乗ります。
▲ここからは快速丹後あおまつ号に乗車し、天橋立駅まで行きます。この列車は工業デザイナー水戸岡鋭治氏によって手掛けられ、車内にソファー席やカウンター席、テーブル席などが完備されており、快適に過ごせるようになっているのが特徴です。しかも普通乗車賃のみで乗れるのも注目です。
▲途中の宮津駅で進行方向を変えます。この駅は京都丹後鉄道の三路線(宮福線、宮舞線、宮豊線)と接続します。
▲福知山駅から約50分で終着天橋立駅に着きました。この後、私たちは丹後あかまつ号に乗り換えます。
▲▼待つこと30分、西舞鶴方面から丹後あかまつ号が到着しました。この列車も先程のあおまつ号と同じく水戸岡氏によって手掛けられていますが、あおまつ号よりも車内が広々としています。二両編成ですが、豊岡方(白)は普通車輌で普通乗車賃のみで乗れますが、西舞鶴方(赤)は乗車整理券が必要となります。
▲出発しました。駅の手前では宮津湾に、出発後には阿蘇海が一望できました。青空も広がっていて本当に綺麗ですね~。
▲▼到着しました。この駅は単線区間で列車が交互に入れ替わる駅です。到着したと同時に新型特急・丹後の海号に遭遇しました。この列車も乗ってみたいですね~。
▲この駅は国鉄時代は丹後山田駅という名前でしたが、北近畿丹後鉄道(現、京都丹後鉄道)に移管された後に野田川駅、更には現在の与謝野駅と改称されました。
▲ここからはバスに乗ります。
▲▼そして、SL広場に到着しました。長かったな~(自分は大阪から約6時間近くもかかりました(笑))。
▲今回お世話になる加悦SL広場。1996(平成8)年にオープンした鉄道車輌展示施設で、蒸気機関車から気動車まで様々な車輌が展示されています。皆様も是非行かれてみてはいかがでしょうか?詳しくはHPのリンクから加悦鐵道保存会さんにアクセスして下さい。
後日ブログに書く予定ですが、この地には加悦鉄道という路線が敷かれていました。
▲▼さて!!ここまで長時間かかって来たので、かなり空腹です!!まずは腹ごしらえです!!
この蒸気屋さんはご覧の通り、元々の電車の車輌を改造し、食堂にしてオープンしています。まさに!!昔の食堂車みたいですね!!
▲私が頼んだのはイタリアンカツカリーという何ともユニークなカレーです。味は本当に格別で、暑い夏に持ってこいの料理です。皆様も是非食べてみてはいかがでしょうか~?
▲お腹も満たされ、着替えて作業開始です。どんな作業が待っているのでしょうか~?
続きは②でご覧下さい!!
6月4日(土) 会合(上ヶ原)
こんにちは~、K.Tです。
6月に入りました。あっという間ですね~。僕はそろそろ学期末テストに向けて勉強を始めようとしています。何せ絶対に単位を落としたくないからです。まあ、僕以外の大学生の誰もが思うことですけど(笑)
さて、6月最初の会合が行われました。
▲主な議題は、学祭・合宿の予定でした。案を出していき、会員から意見を述べてもらい、どのように進めていくか議論しました。
今後の行事に関して、様々な案&意見を基に要綱をまとめていきます。急がないとあっという間に“その日”が来てしまいますからね~。早くしないと!!(笑)
【オマケ】
▲更新工事を受け、長らく正雀に留まっていた7013Fが最近になって帰ってきました。
7010F&7020Fと同じ更新内容ですが、異なる点は①正面窓の拡大②液晶ディスプレイが1000系Ⅱと同じになる③モーターがVVVFインバータに変更、と新型車両と思ってしまうくらいリニューアルされていました。
今後の阪急の車両動向がどうなっていくか注目です!!
5月28日(土) 確定新歓(小林)
こんにちは、K.Tです。
来る5月28日(土)に第三回目の新歓が行われました!!
▲場所は何と!!阪急小林駅近くでした。ということは、ブログを長らく見て頂いている皆様はもう見当が付いていますね?
▲そう、まさに!!昨年・一昨年と同じインド料理屋さんでした~。
「今年も同じ場所!?」と思っていらっしゃる方、正直鉄研の行きつけのお店となりつつあります(笑)でも、料理は格別で最高に美味しいので、是非行ってみてはいかがでしょうか。良いですよ~。
▲▼参加者の皆様が全員席に座ったところで、
▲歓迎会始まりの言葉が述べられました。
▲そして乾杯!!さあ思う存分楽しんでいきますよ~!!
▲全員料理に舌鼓していきました。因みにこのお店に来たのが初めての人が多かったのですが、大好評でした。
▲時々席をチェンジしながら談笑をしたりと、もうまさに宴会そのものでした(笑)勿論、参加していただいた新入生の方々も楽しんで頂いて良かったです!!
▲▼その後、それぞれ家路に就いていきました。
今回を持ちまして、新入生歓迎会は全て終了しました。思えば、去年の秋に新歓係に任命されて以降、色んな案を出していって「これはどうだろうか」「これで大丈夫だろうか」など考えていき、3回行いました。あれこれ考えていきながら「去年の新歓係の先輩方もこんな風に悩んでいって実行していったんだなあ」とつくづく思いました。今後の鉄道研究会を担う新たな会員を歓迎するための行事はまさに責任重大でした。何せ入学したての新入生などはこれからの大学生活を楽しみにしながら来て頂いているのです。「新入生が絶対に入ると思う新歓にするぞ!!」とほぼ毎日考えていき、時には他の会員の方々からのアドバイスを聞き入れて、案を練っていきました。そして、ラストの新歓を終わった後の評価としては、我ながら「一応の成功は収められた」と感じました。
これで新歓係の仕事は無事終えることができましたが、今度は何と!!先日合宿係に任じられました。今年の行事は私を含む2回生が中心となり、計画を進めて実行していきます。大仕事が次から次へと舞い込んできますが、どうように進めていくかを話し合い、時には前任者からアドバイスを聞いたりするなど、色んな案を考えた上で実行に移していきます。
今後の鉄道研究会がどのように発展していくか、このブログをご覧になられている皆さん、温かく見守って下さいますよう、これからも宜しくお願いします!!
因みに新歓は全て終えましたが、引き続き新会員の募集は行っています。鉄研に興味がお持ちの方は是非お越し下さい。お待ちしておりま~す!!。
2016年5月22日 大回り&SL北びわこ号乗車旅
どうも、コガッチです。
その様子をお伝えします。
旅の始まりとなる集合場所はJR大阪駅「御堂筋北口」です。
↑私がここに着いたときは、私含め3人だけでしたが集合時間が近づくにつれ会員が増えていきました。会話を楽しんでいる様子がうかがえます。
なんと、北神急行の青木さんもこの企画に参加されました!
さあ、参加者全員が揃ったところで・・・
乗車前に、団結力を高めるための? エイエイオ~!をやりました笑
その後みんなで大阪駅から新大阪駅の切符160円を買いました。
改札を通ったところで最初に乗るのは、221系の大和路快速です。
私自身、この大和路線に乗るのは初めてだったので、結構楽しみでした。
車内の様子です。
あっという間に加茂駅に到着!
加茂駅から先はディーゼルカーに乗ります~
↑車窓から木津川が望めます。
ここの当たりでは、大阪近郊とは思えない景色を見ることができました。
1時間ほどすれば、柘植駅に到着します。
ここからは、草津線に乗り換えです。
↑この車両に乗りました!
この駅でトワイライトエクスプレスの牽引車を見ることができました。
これからは、この旅のメインであるSLに乗ります!(米原~木ノ本)
とうとう来ました。これに乗りたいと思います!
↑車内で食事を楽しむ会員たち
のどかな風景でした。車窓の外からSLを撮影する人々がたくさんいました。
あっという間に木ノ本駅到着!その後撮影会が行われました。
めちゃくちゃ人がいました笑
そしてこの後に木ノ本から近江塩津駅まで行き、そこから湖西線経由で大阪方面に行く新快速電車で新大阪駅に向かい、新大阪駅の改札付近で解散となったのでありました。
今回の旅を振り返って、この日はかなり暑くて疲れましたが、いい思い出になったのではないかなと思いました。また、機会があれば行きたいものです。
執筆者:コガッチ